第4話 幻武

 

 どこの国でも、「隠したいこと」のひとつやふたつはある。
 国家テロを企てる宗教家だとか。核兵器を輸出しようとする研究者だとか。反社会的組織と繋がった政治家だとか。そういう危険因子の芽を早期に摘み取る、時の政府直轄の非公認警察組織……『幻武』。
「悪い子はおまわりさんが連れて行ってしまうよ」
 親が子どもたちに言い聞かせるその脅し文句は、ある意味で不十分であり、ある意味で必要十分。法では裁けない、法の目を掻い潜る不届き者は、「一般」の警察には連行できない。しかし、法の範囲外にある『幻武』であれば、それら危険因子を早急かつ確実に排除できる。法に裏付けされた強制力を有する警察と、何者にも縛られない純粋な「力」で悪を裁く『幻武』。この二つの組織が、世界屈指とも言われる日本の治安を維持してきた。
 千年の歴史を持つともいう『幻武』の噂はイタリアンマフィアの世界にも届いていたが、しかし実在は定かではなかった。けだし、情報がまったく外に漏れないのである。法治国家における政府のアウトロー行為が公にされるわけがないのだから、当然といえば当然だが。
 であるのに、空幻は「そんなの知らないのだ」とばかりに秘密を暴露した。

 幻海は供された茶に手をつける前に、空幻に言い含めていた。
「いいかい、空。幻武の候補生だってことは、友達や知り合いはもちろん、知ったばかりのよく知らない人にも話してはいけないんだ」
「そうなのだ? じゃあ誰になら話していいのだ?」
「基本的に誰にも話しちゃ駄目だよ」
「……? わかったのだ」
「海、わかってないわよこの子」
「だから『上』にも言ってるのに…… 空に隠密機関なんて早過ぎるって……」
 γだって思う。早いとか遅いとかではなく、隠密にしておくには不適格なんじゃないか、と。
「大丈夫です、えっと……幻海さん? 誰にも他言しませんから」菓子の皿を出しながらユニが微笑んだのに、幻海は頭を下げた。
「そうしていただけると助かります」
 ボスの約束はファミリーの約束。γたちの口から幻武の正体が明かされる事態は未来永劫、どの世界線にもなくなった。
 ユニが差し出した菓子は、空幻が持参した煎餅だった。
「これはとてもおいしいから、白蘭も食べるといいのだ。白い面を下にすると甘くって、上にするとしょっぱいのだ」
「それは不思議だね。一枚貰おうっと」
 γもユニの視線に促されて手に取る。煎餅は知っている。米を使ったジャポネーゼの好む菓子。全体に薄く塩がかかっていて、片面には白い砂糖の蜜がまだらに塗られている。不思議でもなんでもない、甘じょっぱいただの煎餅だ。
「それで、みなさんは今日、どうしてこちらへ?」
「先日、そこのシロツメク…… 失礼。白蘭さんにお茶をご馳走になりまして、そのお礼に」
「いいって言ったのに律儀だねー♪」
「今、白蘭様のことシロツメクサって言いかけませんでした?」
 桔梗のツッコミを幻海は茶を啜りながらスルーし「ところで」と切り返す。
「姉の幻術にさして驚かないあなた方も一般人とは思えませんが、一体?」
「お上の話じゃ、最近この町にイタリアンマフィアやらなんやらが大集結してるとかって? お祭りでも始める気かしら?」
「……!!」
 ユニを除く全員の表情が固まる。γの脳内で三つの選択肢が並んだ。

 
 ①黙秘する
 ②口止めする
 ③始末する

 
 残念ながらγには交渉術なんて頭を使うスキルはない。どちらかといえば実戦で活きるタイプだと思っている。挙げられる選択肢なんて精々でこのくらいだ。
 ユニがなにかを考えるような間を置いて、ゆっくりと唇を開く。
「その件については、私たちにも責任を負うべき部分があります。でも、この平和な町を荒らすのは、私たちも本意ではありません」
「姫……!」
「γクン、お口チャック」
 γがユニを止めようとして、しかし白蘭の眼光に遮られる。ユニのなにを理解しているのかわからないが、気に食わない。
 幻海と夢幻は見極めるようにユニを見つめていた。
「私たちは、ジッジョネロと白蘭たちで構成したミルフィオーレファミリーといいます」
「それでは、あなたが」
「はい。未熟者ではありますが、ボスのユニです。どうか、介入はしないでください、危険に晒されます。私たちは町の皆さんを絶対に傷つけません。私たちは、みんなで幸せになるために、戦うと決めたんです」
 γにはユニがなにを言わんとしているのか、ほとんどわからなかった。ただ、彼女のこの戦いにかける覚悟だけは痛いほど伝わる。おそらく、白蘭も完全には理解していないだろう。それでも彼らは、ユニについて行くと決めたのだ。
 白蘭とγが見守るなか、幻海と夢幻は顔を見合わせて。
 夢幻が吹き出した。
「ビクビクしなくても、別にチクりも邪魔もしないわよ。そんな義理ないし」
 そう言ってユニの頭をぐりぐりと撫で回すのを、γは呆けた顔で見ているしかなかった。
 白蘭は試すように首を傾げる。
「いいの? 政府の機関なんでしょ、キミたち」
「僕たちは候補生でしかありませんし、マフィアの密入国問題なんて担当外です。国民に危害を加えない限りは、お祭りでもなんでもお好きにどうぞ」
 幻海は薄く笑った。
「それにしても……マフィアですか。思っていたより普通の人たちがやっているんですね」
 幻海はもう一口、茶を含んで「おいしいですね」とユニに微笑んだ。

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